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「喫茶そらのたね」のこと~その2

こんにちは、そらたねです。なんだか、自分の日記みたいにダラダラと綴っております。

「喫茶そらのたね」は大家さんが始めた喫茶店の居ぬき物件でした。なので、昭和の喫茶店の雰囲気が抜群に出た、ステキな物件でした。でも、とても古くて、後に、白アリが大量発生して、とても大変な事態となりましたが。今となっても思い出したくない思い出です(笑)。

元々の喫茶店では、ナポリタンやレトルトカレー、サンドイッチなどを扱っていたようで、メニューなども引出の奥底から出てきました。

始めた当初、私は、本当に何も作れませんでした。

レトルト商品も検討したのですが、せめて1日1メニューだけにして、手作りをする方向で決まりました。

私が唯一こだわっていたのが、サラダ。メインに付いてくるサラダが「え~、ショボい」って思うお店、あるじゃないですが。あれがイヤだったので、サラダだけは、お客様が嬉しくなるものを作りたい。

それだけだったので、メインメニューは全く考えておらず。

「カレーくらいなら作れるかな」という甘い考えでしたが、カレーって奥深い。隠し味なんてあれこれ足していくと、「あれ?なんか違うな」と結局、まとまらない味のまま、お客様にお出ししている時期もありました。

こんな私を救ってくれたのは、あるシェフです。あまりに何もできない私を見て、ホシザキ電機さん(厨房機器メーカー)の営業さんが、そらのたねからほど近いところで、一人でお店をやっている「キッチン10423(としふみ)」さんという店を紹介してくれました。

藁にもすがる思いで、まずはそこのお店に一人、ランチに行ってみました。

そのお店も1日1メニューの日替わり。私が食べたのは「ポークジンジャー」いわゆる生姜焼きです。
これが、味も美味しいし、お皿もこだわりのらしく綺麗。値段は確か600円という格安。カウンターが6席くらい、テーブルが2つくらいのとても小さなお店でした。

ここまで書いて、ふと、なぜ私が「キッチン10423」のとしふみさんと仲良くなったのか、全然記憶がない事に気づきました。
言い訳のようですが、そのくらい、この頃の記憶はシンド過ぎて、抹消したかったのだと思います。

おそらく、私が、としふみさんに相談したんじゃないかな。「私、お店やってるけど、何も作れないんです。」って(笑)。

ホシザキ電機さんも、としふみさんも言いました。「一体、なぜお店をやろうと思ったのか?そして、あまりにも何も出来なくて、放っておけなかった」と。

人は極限まで何にも出来ないと、神様が何かしらの助けをくれるんじゃないか?と、この時、思いましたね。

仕入先にしても、私は全く仕入れ値の相場を知らないただの女。そりゃ、騙してくる業者もいました。騙されていることすら気づいていなかった。

それらを「ママ、それは高すぎるよ!うちの業者に変えなよ」と教えてくれたのもとしふみさんでした。

ちなみに、喫茶店やってると、90歳のおじいちゃんからも「ママ」と呼ばれました。そういうもんなんですね。

そして、としふみさんとの出会いから、直々の料理教室が始まるのでした。