毎日にちょっとだけ豊かな時間を

「物質が豊か」=「幸せ」ではない

こんにちは、そらたねです。主人はとっても読書好き。主人が買った「人新世の資本論」、主人はあっという間に読み終えたので、お次は私の番。読み始めてみました。

ムズイ。。外国人の名前がいっぱい出てくるし、様々な人の説いた理論が沢山出てくるし、「で~、何が言いたいんだ~!」と、今にも投げ出しそうな私に、主人から「最後まで読みなよ!面白かったよ。」と一言。

悔しいので、頑張って読んでいます。

読書は習慣化が大事

読書は、つくづく習慣です。最近の私はもっぱら動画で欲しい情報、知識を入れていたところがあり、活字に触れるのは簡単な本だけでした。なので、難易度高めな本は、字を追っていても、頭に入ってこない。主人は、机の上に常に本があり、ちょっとした時間でも読んでいます。スマホを持つ代わりに本を持つ。

おまけに私の集中力の欠如が半端ない。読み始めては、猫が寄ってきて、または、夜ごはんの準備が気になって、または、洗濯物を取り込んで。
読んでいる途中で、色々な雑事を思いついては、中断しています。生徒の事言えませんね。

「人新世の資本論」私的まとめ

以下、私の中に残っていることをまとめてみました。

これまで「みんなの物」として使っていたものが、誰かの所有物になり、それを所有者は売りに出す。例えば「水」。誰かがペットボトルに詰めて、売る。それまで、湧き水は、その周囲の人の誰もが利用できる物であった。
人々は、それを使わないと生活出来ないので、働いてお金を稼いで、それを買う。そもそも所有できる人は、ごく一部のお金持ち。その人だけが所有することで、これまでは「みんなの物」だったのに、希少性が出て、さらに値段が上がる。一般庶民は、値段が上がったもの=価値あるものだと思い、それを手に入れるために、また働いてお金を稼ごうとする。

つたないまとめでごめんなさい。

「買う」だけでなく「作る」を増やしたい

そして、この本を読んでいるタイミングで、印象深い団体を見つけました。岡山県の真庭市で活動をしている「真庭なりわい塾」。

ここの塾長の言葉がとても私の中に響きました。「あ~、私が思っていたのは、これじゃないか。」と。

一部抜粋しますね。

水も、食料も、エネルギーも、そして教育や医療、福祉、さらに暮らしの安全や安心も、お金で「買う」のが当たり前になったのが今の暮らしです。

(略)

もともと、日本人の暮らしは「お金」によってではなく、「身近な自然」と「コミュニティ」によって支えられていました。「百姓」という言葉に象徴されるように、多種多様なシゴトを組み合わせながら働き、家族を養い、世代をつないできました。暮らしは「買うもの」ではなく、「つくるもの」だったのです。

https://maniwa-nariwai.org/about/「真庭なりわい塾」塾長メッセージより

私が作れるものなんて、何もありません。パンを作ると言っても、小麦粉は買わないといけないし、毎日食べるお米、エネルギー、服。すべてはお金で引き換えて「買った」ものです。

この「真庭なりわい塾」はゴリゴリに自給自足を推している訳ではなく、出来ることはなんだろう?みんなで一緒に考えていこうという、堅苦しくないところも良いなと思いました。

本当に時代の流れは速く、新型コロナの流行によって、価値観の変化は加速したように感じます。

高度経済成長期を経て、物質的な豊かさをみんなが必死に追いかけて、物には不自由なく満たされた。けれど、それでも「何となく幸せではない」「満たされない」気持ちがあるのはなぜなのか?人間の本来の姿って?そもそも幸せってなんだっけ?

大きなテーマながら、私が目指したいものが見つかった気がしました。「コミュニティ」「共有」「作り出す」

ずっと以前からなんとなく感じていた、「世の中、何だかオカシイ気がするな」はまんざら間違っていたわけじゃないのかも。

読み進めて、もっと掘り下げて考えていきたいと思います。そして、なりわい塾にも参加してみたいなぁ。